創始者である崔 泓熙(チェ・ホンヒ)氏が、朝鮮半島の古武術(テッキョンやスバック)や中国武術、そして崔氏が日本留学中に学んだ松涛館空手を基礎とし研究を重ね、独自の技術体系を確立。1955年にテコンドーと命名しました。
漢字では跆拳道と表記し、「跆」は“踏む・蹴る・跳ぶ”を意味し、「拳」は“拳(こぶし)で突く”こと、「道」は“正しき道を歩む精神”を意味します。
テコンドーの原形は、古くは高句麗時代の遺跡にある壁画に、その姿を見ることができます。
1962年に大韓テコンドー協会が設立され、韓国は60年代積極的に海外へコーチを派遣して世界各国に普及させました。
1973年には世界テコンドー連盟 (WTF) がソウルに設立されました。1980年代の世界大会では各国代表コーチ、選手がすべて韓国人という状況もありましたが、約30年の歳月を経てオリンピック正式種目となり、現在では(2016年の時点)世界206ヶ国に普及しており、競技人口は7000万人を超える世界中で愛されるスポーツに発展しました。
1978年9月には、アジア地域のテコンドーを統括するアジアテコンドー連盟 (ATU) が結成され、日本は理事国とし参加しています。アジア選手権の開催など、本場の韓国を含むハイレベルなアジア地域での国際大会を通して、日本選手の強化に大きくつながっています。
近代スポーツとしてのテコンドーは、WTF が創設された 1973年に始まります。テコンドー競技を総括する韓国・国技院 キム・ウンヨン 総裁 (当時) が IOC 副委員長となり、1988年ソウル・オリンピック誘致に大きく貢献し、テコンドーは同オリンピックで初めて公開競技として実施されました。当初は他の競技からの転向組も多く、現在のような体系的な指導方法や指導者などの体制が整っていませんでした。
1992年バルセロナ・オリンピックの公開競技を経て、2000年シドニー・オリンピックで正式競技と認定されました。
その後アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ、2020年東京オリンピックでも継続して正式競技として認定されています。
また、2020年東京パラリンピックではパラテコンドー競技が初採用されることになりました。
試合時間は、2分×3ラウンド・インターバル1分です (公式ルール)。
試合の勝敗は、技の種類により決められたポイントを多く獲得した選手が勝利するポイント制です。反則によりペナルティ (相手選手への加点) が与えられることもあります。また、攻撃し倒れた相手が10カウント以内にファイティングポーズを取れない場合 (KO) や、相手のセコンドが試合を中止させた (TKO) 場合も勝利となります。
3ラウンド終了時点で同点の場合は、ゴールデンラウンドに進みます。時間内に2点でも先取した選手が勝ちとなります。ゴールデンラウンド終了時にもポイントが入らない場合は、主審のジャッジにより勝敗が決まります。